日産自動車株式会社(本社:神奈川県横浜市)は、同社の追浜工場(神奈川県横須賀市)における車両生産を2027年度末で終了し、生産機能を日産自動車九州(福岡県苅田町)へ統合すると発表しました。この決断は、経営再建計画「Re:Nissan」の一環としてグローバルな生産拠点再編の流れの中で下されたものです。
追浜工場は1961年の操業開始以来、ノートやノートオーラなどを含めた累計1,780万台以上を生産し続けてきた拠点であり日産の歴史と技術の象徴でした。今後、現在追浜で製造する車種や今後導入予定の新型車も、九州工場で生産が継続される予定です。
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経営判断の背景
今回の決定は、日産の生産拠点見直しの一環として下されました。日産はグローバル生産能力を中国以外で年間350万台から250万台に削減し、工場稼働率を国内外で100%に維持することを目指す体制改革を進めています。
日本国内についても、生産能力やコスト競争力の観点から、生産集約による新たな投資負担を抑えつつ、追浜工場の車両生産を日産九州へ移管することが最も効果的と判断したとし、日本国内の生産コスト削減・競争力向上・利益率向上を目指しています。
加えて、日産車体湘南工場のNV200生産も2026年度で終了予定、AD委託生産も2025年10月で終了予定とされており、国内生産拠点の統合がこれで完了します。

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追浜工場の役割と今後
- 追浜工場本体での生産は2027年度末で終了。
- 車両以外の総合研究所、GRANDRIVE、衝突試験場、専用ふ頭などは存続・継続。
- 生産終了後の工場エリアの活用方法は「幅広い選択肢を検討」としており、地域社会への責任にも言及しています。
約2,400名の現場従業員は、2027年度末までは現在の職場で働き続け、その後の雇用や配置転換については順次組合と協議しながら決定していく方針です。
日産のCEOイヴァン・エスピノーサ氏は、発表内で「追浜工場は日産の歴史の誇り。支えてきた従業員・地域社会・パートナーに感謝し、事業継続と地域貢献に努めていく」とコメント。「持続可能な未来への重要な一歩」と語っています。
SNS・社会の反響
地元やSNSでの声
地元経済や雇用への影響、歴史ある工場の幕引きへの惜別の声が多く見られます。
- 「横須賀の象徴ともいえる追浜工場がなくなるのは本当に寂しい」
- 「長年地域に根ざしてきた工場だけに、地域経済や雇用への影響は大きいのでは」
- 「グローバル競争の中ですが、伝統ある追浜の精神は失われないでほしい」
- 「生産終了は時代の流れかもしれないが、従業員や下請け企業の今後が心配です」
- 「九州での体制強化は歓迎だが、やはり追浜ブランドが消えるのは残念」
事実として、地元横須賀市や神奈川県の関係者からも産業構造や雇用問題を懸念する声、「今後も地域とのつながりや研究開発機能の維持を期待する」といったコメントが出ています。
業界関係者・識者の見解
- 「日産のリストラとしてやむを得ない判断だが、国内のモノづくり拠点減少は日本の自動車産業全体にも無視できない影響」
- 「効率化によってブランドの競争力維持を目指す一方で、『日産らしさ』を支えた歴史的拠点の整理はイメージ戦略にも課題」
一方、事業再編によるコスト競争力強化を評価する意見もあり、改革が成否を分ける「今まさに正念場」との論調も並びます。
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日産 追浜工場の歴史と実績
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1961 | 操業開始(ダットサンブルーバード生産) |
| 1978 | 生産累計500万台達成 |
| 1984 | 追浜専用埠頭完成 |
| 1992 | 生産累計1,000万台達成 |
| 2001 | マーチ生産開始 |
| 2007 | GRANDRIVE竣工、生産累計1,500万台達成 |
| 2010 | 日産リーフ生産開始 |
| 2016 | ノートe-POWER生産開始 |
| 2021 | ノートオーラ生産開始 |
| 2027 | 車両生産終了(予定) |

今後の国内生産体制と日産の戦略
- 追浜工場の生産移管に加え、日産車体湘南工場でのNV200生産も2026年度で終了予定。
- 国内車両生産拠点の集約が「Re:Nissan」計画の日本国内での完了を意味。
こうした再編で日産はグローバル競争力の回復と、「本来の価値」再生を目指す戦略を加速させることとなります。
日産追浜工場の生産終了は、日本の製造業の歴史転換点を象徴する出来事です。追浜の伝統と現代の経営判断、その間で揺れる現場と地域社会の思いは、今後の日本のものづくりにも深い影響を与えていくものとなりそうです。



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