光岡自動車100年企業を目指す:創業55周年を迎え大野社長へ交代

2024年4月1日、光岡自動車はホームページでスペシャルコンテンツ「100年企業をめざして」を公開しました。

光岡自動車は昨年の2023年、創業55周年を記念したコンセプトモデル光岡 M55 CONCEPT(エムダブルファイブ コンセプト)を発表し話題となりました。さらに2024年2月にはM55コンセプトを市販化すると発表しました。詳しくは以下の記事で詳しく紹介しています。

<光岡M55コンセプト発売決定!2025年の市販化発表 ホンダシビックベースのレトロなハッチバック>

さらに光岡自動車は2024年3月に代表取締役社長を交代しました。これまで会長だった創業者の光岡 進氏は取締役相談役へ、社長だった光岡 章夫氏は代表取締役会長に、常務取締役だった大野 貢氏が代表取締役社長へ就任しました。創業家から次世代の社長へ引き継ぐ形となりました。

この記事ではスペシャルコンテンツに掲載された光岡自動車の歴史と100年企業に向けた光岡自動車の思いを紹介します。

光岡自動車の歴史

1968年2月、若き日の光岡進氏によって、馬小屋を改装した鈑金塗装業から光岡自動車工業の歴史がスタートしました。当初は光岡進氏、彼の妻幸子氏、そして数名の社員で構成される小規模ながらも野心的なベンチャー企業でした。この時代は高度経済成長の末期にあたり、その追い風を受けて1979年には法人化を達成し、株式会社光岡自動車として中古車販売業から全国展開の足掛かりを築きました。当時の創業メンバーたちには、将来自社の車を製造するという共通の夢がありました。

その後、1981年12月には、光岡自動車社内に開発部が設立され、オリジナルカー製造への道を歩み始めました。車椅子ユーザーも乗り降り可能な一人乗りミニカー「BUBUシャトル50」を皮切りに、独創的なオリジナルカーを次々と発表しました。本格的な改造車の製造は1987年7月、海外で目にしたレプリカタイプのキットカーをヒントに「BUBUクラシックSSK」の製造から始まりました。

そして1996年4月、創業から28年の時を経て、光岡自動車は日本国内10番目の乗用車メーカーとして新たなスタートを切りました。「ゼロワン」と名付けられたオリジナルカーが型式認証を取得するという大きな成果を挙げ、数多くの困難と挫折を乗り越えた末に達成された長年の夢でした。

光岡自動車 100年企業をめざして

光岡自動車が2018年2月に創業50周年の節目を迎え、未来への飛躍を目指す新たなスローガン「夢、挑戦、次代へ」を発表しました。半世紀にわたる歴史を築き上げたこの企業は、次の50年も夢に向かって挑戦し続けるという強い意志を表明しています。このスローガンは、未来を担う若い世代と共に新しい夢を追求し、更なる高みを目指す光岡自動車の姿勢を象徴しています。

2024年4月には、光岡自動車は新たな章を迎えます。代表取締役社長に就任する大野貢氏の下で、企業は「これまで」と「これから」の架け橋となるべく、若い世代へとバトンタッチされることになります。最近発表された新型車の投入やディーラー事業の拡張、積極的な人材採用により、光岡自動車はこれまで以上に皆様に夢と興奮を提供することを約束します。

100年企業を目指し、新しい時代に対応しながらも、変わらぬ夢への追求と挑戦を続ける光岡自動車。その旅路には、これからも多くの期待が寄せられています。

光岡自動車 大野社長のコメント

光岡自動車の大野 貢 代表取締役社長が代表挨拶として以下のコメントを掲載しています。

光岡自動車は、昭和のモータリゼーションの時流をとらえ、情熱と突破力でここまで駆け抜けてまいりました。
それは、自在な想像力で勢いのあるミツオカらしさの象徴でもあります。
近年は、価値観や時代背景の変化で、あらゆる業態に変革が求められる時代となりましたが、光岡自動車のディーラー経営や製造業経営においても、情熱と突破力だけでは乗り越えられない社会の潮流を肌で感じています。
私たちは、ミツオカらしさを活かしながらも、常に時代のニーズにマッチする企業であり続けるための『体幹』を鍛え、光岡自動車という大木をより太く成長させる必要があります。
社員一人一人の能力を最大限に引き出せるよう仕事の質を向上させながら、100年企業への原動力として育てていきたいと思います。

株式会社光岡自動車代表取締役社長 大野貢

光岡自動車 スペシャルコンテンツ 100年企業をめざしての公式ページはこちら

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