2025年5月1日、トヨタ自動車とJAXA(宇宙航空研究開発機構)が共同開発を進める月面探査車「ルナクルーザー」の初の試験走行が実施されたことを発表しました。人類が再び月を目指すNASA(アメリカ航空宇宙局)主導の「アルテミス計画」の一環として開発されているこの車両は、月面という過酷な環境での移動を可能にする革新的な技術の結晶です。トヨタイムズニュースでは、この歴史的な試験走行の様子とともに、月面移動を可能にする秘密に迫りました。
NASAのアルテミス計画と日本の役割
人類が初めて月面に降り立ったアポロ計画から約半世紀。NASA主導の「アルテミス計画」は、2027年以降に人類を再び月面に送り、長期的な有人探査を実施することを目指しています。このプロジェクトでは月面での持続的な活動を通じて将来的な火星探査に必要な技術の獲得も視野に入れており、日本を含む複数の国が参加しています。
特筆すべきは、この計画に日本人宇宙飛行士2名の参加が決まっていることです。さらに日本は「チームジャパン」として、月面での移動手段となる有人与圧ローバ(トヨタでの愛称「ルナクルーザー」)の開発を担当しています。
JAXAの筒井史哉氏(国際宇宙探査センター技術領域総括)は、「アルテミス計画がスタートし、私たちがどの要素を担当するかNASAと意見交換を重ねるなかで、自然な流れで有人与圧ローバを手掛ける方向に話が進みました。ひとつには、トヨタの実績や技術力へのNASAの期待が大きかったからだと思います」と説明しています。
ルナクルーザーとは
「ルナクルーザー」は、JAXAとトヨタが2019年から共同研究を開始した月面探査活動用モビリティです。正式名称は「有人与圧ローバ」ですが、トヨタの愛称として「LUNAR CRUISER(ルナクルーザー)」と名付けられました。
この名称には、トヨタのSUV「ランドクルーザー」に込められた「必ず生きて帰ってくる」という精神や、品質、耐久性、信頼性を月面という過酷な環境を走る車両にも引き継いでいきたいという想いが込められています。
車両の特徴
ルナクルーザーは、全長6メートル、全幅5.2メートル、全高3.8メートルというマイクロバス2台分に相当する大きさを持ち、内部には4畳半ほどの居住空間を備えています。この空間では、2名の宇宙飛行士が宇宙服を脱いで生活しながら、最大30日間にわたって月面探査を行うことができます。
JAXAの筒井氏は「今回の有人与圧ローバは、移動機能と居住機能を併せ持つため、月面の着陸地点にしばられることなく、長期にわたって移動しながら探査することが可能になります。いわば”月面を走る宇宙船”なのです」と説明しています。
月面環境の過酷さと技術的挑戦
月面は地球とは大きく異なる環境であり、走行車両の開発には数多くの技術的課題があります。
月面の特殊環境
- 重力: 地球の6分の1という低重力環境[2][11]
- 温度: マイナス170℃から120℃までの極端な温度変化
- 地表: 「レゴリス」と呼ばれる非常に細かい砂に覆われた表面
- 放射線: 宇宙放射線が直接降り注ぐ環境
- 大気: 空気がない真空環境
これらの条件は従来の自動車技術では対応できない特殊な環境であり、ルナクルーザーの開発には革新的な技術が必要とされています。
4つのコア技術
ルナクルーザーの開発では、月面という過酷な環境に対応するため、4つのコア技術が重点的に研究されています。
1. 再生型燃料電池(RFC:Regenerative Fuel Cell)
月面では昼と夜が約14日ごとに交替するため、太陽光がない夜の期間(14日間)のエネルギー供給が大きな課題となります。
この課題を解決するために開発されているのが「再生型燃料電池」です。これは、昼間の太陽光発電で水を電気分解して水素と酸素を生成・貯蔵し、夜間はその水素と酸素を反応させて電力を生み出すシステムです。
トヨタは「MIRAI(ミライ)など地上で鍛えた燃料電池の技術と信頼性を月に生かす」と説明しており、この技術は将来的に地球上での応用も期待されています。
2. オフロード走行性能
月面は「レゴリス」と呼ばれる細かい砂や岩石、クレーターなど複雑な地形で構成されています。こうした環境での安全な走行を実現するため、特殊なタイヤと走行システムが開発されています。
ルナクルーザーは4輪独立インホイールモーターと転舵機構を採用し、各タイヤが単独で方向を変えることができます。これにより、通常のブレーキが利かなくなった際にはタイヤを「ハの字」にして車体を止めることができるほか、小回りが利き、障害物を細かく避けて走行することが可能になります。
3. オフロード自動運転
月面には道路や地図がなく、初めて見る地形を自動運転で走行する技術が求められます。
この課題に対して、電波航法やスタートラッカー(恒星の位置から姿勢角を推定する技術)、慣性航法などの技術を組み合わせた自己位置推定システムや、LiDARによる障害物検知技術、安全な経路を生成する技術などが開発されています。
また、トヨタが地上の自動車向けに開発している「ガーディアン技術」も応用される予定です。
4. ユーザーエクスペリエンス(UX)
1カ月以上にわたり狭い車内で生活することによる精神的負荷や、モノクロの月面環境での視認性の低さなどが課題となります。
これに対して、広く感じる空間設計や複数シーンを想定した姿勢の支持、直感的に操作可能な軽量・小型デバイス、重畳表示による運転支援などが検討されています。
特殊なタイヤ開発 – ブリヂストンの挑戦
月面環境では従来のゴム製タイヤは使用できません。空気がなく、極端な温度変化があり、宇宙放射線が直接降り注ぐ環境では、ゴムは劣化してしまうためです。
この課題に取り組んでいるのがブリヂストンです。同社のF1や航空機用タイヤ開発の経験を持つ河野好秀氏は、「全部金属で作るしかない」という結論に至り、金属製タイヤの開発を進めています。
このタイヤは砂漠を移動するラクダの足裏からヒントを得た設計で、柔らかい金属フェルトを使用して接地圧を分散させる構造になっています。これにより、月面の細かい砂(レゴリス)に埋もれることなく、安定した走行が可能になります。
初の試験走行
2025年5月1日に実施された初の試験走行では、ルナクルーザーの操縦性や走行性能が試されました。
試験車両は前面に大きなスクリーンを備え、月面の進行方向の様子をVR(仮想現実)で映写。安全に進める推奨ルートが緑色で示され、ステアリングによって進む方向がグレーの2本の太線で表示されるシステムを採用しています。
操縦は左右にある操縦桿で行い、アクセルはボタン式、ステアリングは親指でレバーを操作するという特殊な方式です。
開発の現状と今後の予定
ルナクルーザーの開発は2019年に初期検討が始まり、2020年~2021年にかけてJAXAとの共同研究が行われました。現在は全体システムの概念検討や概念設計、要素試作試験といった先行研究開発が進められています。
今後のスケジュールとしては、2027年に本体開発(仮日程)が行われ、2029年の打ち上げが予定されています。
チームジャパンの挑戦
ルナクルーザーの開発は、トヨタとJAXAだけでなく、三菱重工やブリヂストンなど日本を代表する企業が参加する「チームジャパン」体制で進められています。
三菱重工は国際宇宙ステーションの日本実験棟「きぼう」や補給機「こうのとり」の開発で培った宇宙機インテグレーション技術や耐宇宙環境技術、有人宇宙滞在技術を活かして、有人与圧ローバシステムの開発を支援しています。
また、三菱重工が開発を進めている月極域探査機(LUPEX)ローバで得られるデータも、ルナクルーザーの開発に活かされる予定です。
地球への技術還元
ルナクルーザーの開発で培われる技術は、月面探査だけでなく、地球上での応用も期待されています。
特に再生型燃料電池は、「水と太陽光だけで半永久にサステナブルかつランニングコスト0」という循環型エネルギーシステムとして、離島や災害時の避難所、船舶などでの活用が期待されています。
また、道なき道を安全に走行する自動運転技術は、地球上のあらゆる場所でモビリティを安全に走行させる技術としても応用可能です。
トヨタの先進技術開発カンパニーの井上博文プレジデントは、「今回、自動運転やRFCなど地球のクルマにある技術を拡張して、(月面という)より厳しい環境で使用することで、地上での技術へ還元することができると理解している」と述べています。
まとめ
ルナクルーザーの開発は、人類が再び月を目指す「アルテミス計画」の重要な一翼を担うプロジェクトであり、日本の技術力を世界に示す絶好の機会となっています。
地球の6分の1の重力、極端な温度変化、特殊な地表環境など、月面という過酷な環境での走行を可能にするため、再生型燃料電池やオフロード走行性能、自動運転技術、ユーザーエクスペリエンスといった4つのコア技術の開発が進められています。
初の試験走行が実施された今、2029年の打ち上げに向けて開発はさらに加速していくでしょう。そして、ルナクルーザーの開発で培われる技術は、将来的に地球上での持続可能な社会の実現にも貢献することが期待されています。
トヨタ自動車の山下健・月面探査車開発プロジェクト長が述べたように、「技術の向上と人の成長を目指している。開発によって鍛える技術は2029年を待たず、地上の社会にしっかり還元したい」という理念のもと、ルナクルーザーの開発は今後も進んでいくことでしょう。
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